世界自然遺産に選ばれた知床半島の見どころと食べどころ

「知床旅情」の歌でも有名な知床半島ですが、2005年に世界自然遺産に登録されています。

知床八景としては、日本の滝100選に選ばれた「オシンコシンの滝(双美の滝)」があり、滝の上から見る流氷の景色は感動的です。観光船からしか見ることのできない乙女の涙と呼ばれる「プレペの滝」。温泉が流れている「カムイワッカ湯の滝」。
高さが60mの巨岩の「オロンコ岩」、デートスポットとして有名になった夕日の名所「夕陽台」。
オホーツク海の流氷が一番最初に見える「プュニ岬」、
斜里町とウトロ羅臼町を結ぶ標高738mの「知床岬」は紅葉の名所でもあります。
原生林に囲まれた「知床五湖」。

知床を満喫するのに、海から知床を眺めるクルージングがあります。北海道斜里町の道東観光開発が400名乗りのおーろら号という観光船を4月から10月まで運行しています。所要時間は知床岬航路が3時間45分、硫黄山航路が1時間30分です。

知床のイベントとしては、7月第1日曜日が「羅臼岳の山開き」、9月第4日曜日が「しれとこ産業まつり」、そして知床の旬の食を楽しむ「知床番屋祭」が10月から11月にかけて行われます。

流氷を見たいと思って知床に行かれる場合は服装にご注意ください。気温はマイナス6度程度ですが、風があると体感温度はさらに下がりますので。

たった6基の雪像から始まったさっぽろ雪まつり

さっぽろ雪まつりは200万人もの人が日本だけでなく海外からも観光客が訪れるという北海道では最大級のイベントではないでしょうか。

1950年に札幌観光協会と札幌市が主催して、中学生や高校生が6個の雪像を作ったのが始まりです。

1953年の第4回さっぽろ雪まつりで高校生が高さ15mの雪像を作ったことによって、トラックやブルドーザーなどが使われるようになりました。第5回には市民も参加し、第6回からは自衛隊が野戦築城訓練の名目で協力するようになりました。

1959年の第10回のころから次第にさっぽろ雪まつり目当ての観光客が目立つようになってきました。
1972年札幌オリンピックがあった第23回さっぽろ雪まつりでは世界的に紹介されて、その後海外からの観光客が増えるようになってきました。

2010年の第61回さっぽろ雪まつりでは景気の悪化もあってスポンサーが減少し、氷雪像が前年比で44基減少しています。

雪まつり資料館が羊ケ丘展望台にあり、実際に使われた雪像の模型や歴代のポスターがてんじされています。

地の利、人の和、天の時が揃っている札幌市のさっぽろ雪まつりは経済的には苦しいかもしれませんが、是非継続して将来は日本の伝統文化と呼ばれるようになって欲しいですね。

アメリカには送れないお年玉付年賀はがき!なぜ?

奈良時代には新年の挨拶回りの習慣があり、平安時代になってから挨拶に行けない場合や、遠方の場合には年賀状を出したという記述が残されています。

江戸時代になると一般にも広まり、飛脚が運んでいます。1887年(明治20年)ごろにははがきで年賀状を出すことが定着しています。1月1日の消印を押してもらうために12月26日から28日に年賀状が集中するようになってきました。

ただ、あまりにも急速に年賀状の数が増えてきたために、1899年に年賀状の特別取り扱いが始まっています。

このときまでは元旦に配達するシステムになっていませんでしたが、1906年(明治39年)からは元旦に配達されるようになりました。

1949年からはお年玉付年賀はがきが発売され、1961年からは年賀はがきの消印が省略されています。

年賀状といえばお年玉付年賀はがきでしたが、最近では電子メールで送る人も増えています。これには、1月1日を迎えた瞬間に多くの人が送受信をするので、多大な負荷がかかるために通信や通話に制限を設けている電話会社もあります。

こぼれ話ですが、お年玉付年賀はがきはアメリカに送ることが出来ません。アメリカでは外国の宝くじを購入してはいけないという法律があって、お年玉付年賀はがきは宝くじとみなされているようです。

冬至には柚子湯に入ってから、かぼちゃを食べましょう!

冬至(12月22日ごろ)にはかぼちゃを食べて柚子の入ったお風呂に浸ると風邪をひかないといわれています。

冬至は1年で一番昼間の時間が短く、太陽の力が一番弱く陰が極まって陽に転じる日として「一陽来復(いちようらいふく)」と呼ばれています。

なぜ冬至にかぼちゃをたべるのかと言いますと、冬至には「ん」のつく食べ物を食べると「運」がつくといわれているからです。

本来であればうどん、ラーメン、ぎんなん、レンコンでも良いわけですし、かぼちゃには「ん」がついていないですよね。

じつはかぼちゃの別名は「南瓜(なんきん)」なのですね。かぼちゃは夏の食べ物ですが、保存がききますし、風邪予防のビタミンAやカロチンが多いので、栄養をとるには良いという昔の人の生活の知恵だったのですね。

昔の人は毎日お風呂に入っていたわけではありませんから、陰が極まる冬至の日には身を清めて邪気を払う必要があると考えたのです。お風呂に柚子を入れるのは、香りの強いものには邪気を払う力があると信じていたのですね。端午の節句の菖蒲湯も同じ考えから起こったものでしょうね。

実際に、柚子には血行を促進したり、冷え性を緩和させる効果があり、果皮のクエン酸やビタミンCには美肌効果もあります。でも一番は柚子の芳香によるリラックス効果ではないでしょうか。

柚子湯を楽しむには、柚子を輪切りや半分にカットしてガーゼなどの袋に入れてからお風呂へ入れると芳香を楽しめますし、入浴後の掃除も簡単です。柚子が見えなくて寂しいと思われる方は、別に柚子玉を数個入れましょう。

誰にでも出来て一番喜んでもらえる母の日の最高の過ごし方とは?

5月の第2日曜日といえば母の日ですが、17世紀のイギリスでは奉公に出た子供が1年に1回だけ教会でお母さんに会える日でした。復活祭の40日前です。

アメリカで1870年に夫や子供を戦場に送ることを拒否しようと宣言して「母の日宣言」が行われています。この宣言は南北戦争で敵味方の区別なく負傷兵を治療したアン・ジャービスの「母の仕事の日」からヒントを得たといわれています。

上記の2つは大きく広まることはなかったです。ジャービスの死後2年たった1907年5月12日に娘のアンナが母を偲んで白いカーネーションを贈ったことが発端となって次第に広まったものです。

母の日に貰って嬉しいプレゼントベスト10は
1位 家事の手伝い
2位 家で料理を作ってもらう
3位 お花
4位 家族と一緒に過ごす時間
5位 外食
6位 スイーツ
7位 マッサージ
8位 特にない
9位 映画や舞台など趣味関連
10位 帽子、日傘、UV手袋などのファッション小物
このランキングについてですが、思った以上に品物以外が多いですね。家事に休日のないお母さんの本音が出ているような気がします。
難しい注文はないようでうから、母の日には家事を手伝って、一緒に料理を作るか、みんなで外食に行くかして、最後には自宅でゆっくりとスイーツを食べるということは可能ですよね。

頑張ってみてください。

池に映った揺れる月を愛でる風流な中秋の名月

9月には、十五夜と呼ばれる中秋の名月(旧暦8月15日)がありますが、ススキを飾って月見団子をお供えしますよね。

十五夜には穀物の収穫に感謝をする意味が込められていたようです。昔は月の満ち欠けによって暦が作られ、農作業が暦によって行われていたために、月の満ち欠けには大きな意味を持っていたのです。

そこで、稲穂によく似たススキを飾って、お月様の形に似せて米から作った団子をお供え物にしたようです。
十五夜は別名を「芋名月」といって、芋の収穫を祝う行事もあり、里芋やさつまいもなどをお供えします。

お供えする月見団子の数には1年間の満月の数である12個とする場合と、十五夜だから15個という説があります。

うさぎがお月様でお餅をついているからというような説明は、現在では通用しないでしょうね。

十五夜に対して「後(のち)の月」という十三夜があります。丁度食べごろになった大豆や栗をお供えすることから豆名月や栗名月と呼ばれています。風流ですよね。

平安時代の貴族は中秋の名月を直接見て楽しむのではなく、杯に映ったり船浮かべて池に映った揺れる月を愛でたようです。今よりもずっと風流であったようですね。

月見の名所としては松島(宮城県宮城郡松島町) 、九段坂(東京都千代田区)、信州姨捨(長野県千曲市) 、伊賀上野城(三重県伊賀上野) 、玄宮園(滋賀県彦根市) 、大覚寺大沢池(京都府京都市) 、渡月橋(京都府京都市嵐山) 、姫路城(兵庫県姫路市) 、岩国城と吉香公園(山口県岩国市) 、満願寺(島根県松江市) 、桂浜(高知県高知市)などがあります。

お中元には贈る相手に健康状況も把握しておくといいでしょうね。

お中元の起源は中国にあり、1月15日を上元、7月15日を中元、12月15日を下元と呼んで、神にお供え物をして身の汚れを清める日とされていました。

7月15日の中元は、先祖にお供え物や贈り物をする行事であるお盆と重なって、お供え物を親戚や隣近所に贈る習慣が自然に出来たのです。この習慣がお世話になった人に贈るようになったものがお中元です。

お中元は6月下旬から8月上旬までに贈るのが一般的です。通常お中元は毎年恒例にする贈り、物になりますから、1回だでお世話になった方に贈る場合はのし紙に「御礼」と書いてください。

お中元で貰って嬉しいもの ベスト10は
1位 商品券・ギフト券
2位 ビール
3位 カタログギフト・おとりよせ
4位 洋菓子
5位 ハム・ソセージ
6位 肉
7位 アイス・シャーベット
8位 お米
9位 コーヒー・紅茶・日本茶
10位 ジュース

毎年贈るお中元ですから、受け取る方としては届くのを楽しみにされている場合もありますので、変えない方が良い場合が多いですが、健康問題でお酒を控えるようになったとか、カロリーの高いものを食べないように医師に勧められているといったケースも起こってきます。

お中元の前にはそれとなく、相手方の状況を探る必要があるようですね。

翼を広げた木彫りの蝦夷シマフクロウは迫力満点でした

北海道の伝統文化を考えるときにアイヌを無視することはできないでしょうね。

北海道では出土される石器などから数万年前から人が住んでいたことが分かっています。アイヌ文化として様式が確立して現在確認されているのは13〜14世紀からになってきます。

1457年には和人とアイヌが戦を行い数多くのアイヌ人が殺されたそうです。また、17世紀には交易が盛んに行われ、時には交易上のトラブルから戦があったことがキリスト教宣教師が記述しています。

このような中で、アイヌ独特の文化が生まれ育っていくのです。アイヌ独特の着物であるルウンペは木綿の生地に細かな刺繍が施されています。

装身具としては、ブドウヅルなど皮で編んで本体を作り、熊の彫刻を施したり、鳥の頭蓋骨などで装飾を施したサバウンベと呼ばれる冠が有名ではないでしょうか。

アイヌの守り神として有名なものに、蝦夷シマフクロウがあります。蝦夷シマフクロウは世界最大のフクロウとしても有名なものです。特に蝦夷シマフクロウが翼を広げた木彫りはあまり見たことがなかったので迫力がありましたね。

個人的にアイヌを思い起こすものとしては、木彫りの熊があります。熊が鮭を加えているものですが、アイヌでは熊を「キムン・カムイ(山の神様)」と呼び、最も尊ぶ神だそうです。

質素な中に日本の和の心を表現した 京都桂離宮

日本の伝統文化で建築物を語るときに忘れてはならないものの一つに桂離宮があります。京都府西京区にある江戸初期に造られた建物で、桂宮家の別荘として使われていたものです。

書院造の建物もさることながら、回遊式の日本庭園も傑作といわれています。

桂離宮の名前を高めたのは、昭和の初めにドイツから亡命してきた建築家のブルーノ・タウトが「泣きたくなるほど美しい」と絶賛したことにあるようです。

決して華美な建築物ではありませんが、本当に日本の和の心というのか、質素の中に美を表現していますね。

同時期に立てられた日光の東照宮の絢爛豪華な建築物とよく対比されています。

想像でしかありませんが、日本の皇室は権力を見せびらかしたりする必要がなかったのではないでしょうか。歴代の天皇を中学校や高校で習った範囲内で思い起こしたときに、何か特別な建築物を作ってみたり、威厳を保つために何か事を起こしたという記述はほどんどないように思われてなりません。

しいて言うとすれば、古代の古墳群の中に大きな陵墓がありますが、権力維持のために使われたとは到底思えません。

質素な中に自然と融和させて心を和ませる建築物と庭園を造った日本人の真髄が表現されているのではないでしょうか。

根拠が非常に不自然でおかしい建国記念の日

2月11日は建国記念の日です。文字通り日本が出来た日を記念する日ですが、あまり信じられていませんよね。

1966年(昭和41年)に制定されたわけですが、1872年(明治5年)に制定された紀元節が1948年(昭和23年)に廃止されたものが復活したのです。

紀元節は日本書記に書かれている神武天皇が即位した日とされていますが、日本書紀の記述そのものが事実であるか否かは別にして、日付については非常にあやふやな部分が数多くあって信憑性に欠ける部分もあります。

神武天皇は紀元前660年に即位したという日本書記の記述だけを考えたときに、大和朝廷が3世紀にできているというのが考古学上の通説ですから、神武天皇の即位時期についてはあまり信じられていません。

もっと学問的な検証が行われて、建国記念の日が国民に分かりやすいものにして欲しいですよね。

日本という国が出来た日を考えることは必要だと思いますし、重要ですよね。それだけに、事実とは違った方向性を示すのは間違っているのではないでしょうか。

当然、紀元節と建国記念の日とは同じ月日になっているが、主旨は違っているといわれるかもしれませんが、それでは国民は納得しませんよ。

今一度、建国記念の日を2月11日だけでも結構ですから、考えてみてください。ただし、日本人というのはあまり難しく考えないで受け入れることのできる民俗性があるかもしれませんね。

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