ガンガン寺という名前で親しまれている函館ハリストス正教会

日本の伝統文化とはいえないかもしれませんが、国の重要文化財になっているものが、北海道函館市元町にあります。函館ハリストス正教会の建物です。(ハリストスとはキリストのことです。)

1859年(安政5年)にロシア教会の建物として建てられたもので、日本正教会の中で最古の教会の一つです。
現在は日本正教会の中心は東京神田の1891年に完成したニコライ堂に移されていますが、1872年(明治5年)までは正教会の中心でした。ニコライ堂は1923年の関東大震災によって倒壊し再建されています。

1907年(明治40年)の函館市大火によって喪失しますが、1916年(大正5年)に再建されています。建築様式はビザンティン建築やロシア建築の影響を受けていて、煉瓦造りの一部3階建ての平屋で、外壁は白漆喰を塗った優雅な建物です。教会の裏手で海をバックに絵になる写真を撮ることができます。

この函館ハリストス正教会はガンガン寺という名前で親しまれています。最初に聖堂ができたときに5個の鐘を使って楽器のようにならしたことから付けられた名前です。

1983年に、大正時代の建造物としては全国で2番目に国の重要文化財にしていされています。1988年、復活聖堂は3年余の大修復工事によって、当初の姿に復元されています。

アイヌが狩猟の際に利用していた 100年以上の歴史を持つ温根湯温泉

北海道の伝統文化を考えるときに温泉を無視はできませんでしょうね。北海道には100ケ所以上の温泉があるとも言われています。

そんな数多くの温泉の中に、北海道が蝦夷地と呼ばれていた時代からアイヌが狩猟の際に利用していた温根湯温泉があります。北海道北見市にある温根湯温泉はアイヌ語の「オンネ」(大きな)・「ユ」(お湯)に由来しています。

1899年(明治32年)に本州から入植した人によって数軒の温泉旅館が作られたのが始まりです。1957年(昭和32年)に、国道39号線が石北峠を経由する「大雪国道」として開通してからは、層雲峡と網走国定公園-知床半島-阿寒国立公園を結ぶ道東観光のゴールデンルートとして観光客も多数訪れるようになっています。

観光産業の低迷と過疎化の影響で昔のような賑わいはありませんが美白の湯として宣伝を行っています。5月上旬にはエゾムラサキツツジ、初秋にはヒマワリなどが咲き、多くの観光客が訪れる花の名所が温泉地の近くにある。

イベントとしては、5月上旬に温根湯温泉つつじまつり、8月の第1土曜日と翌日曜日の2日間に温根湯温泉まつりが行われています。

温泉の泉質は単純硫黄泉で、関節痛、筋肉痛、リウマチ・神経病に効能があるとされています。終戦までは傷病兵の療養地として指定されていました。

味噌とバターがからまって美味しくなる ちゃんちゃん焼き

北海道にはちゃんちゃん焼きという、名前を聞いただけではどのような食べ物であるか理解できない有名なものがあります。

北海道の伝統文化を考えるときにこのちゃんちゃん焼きは大きなヒントになるのではないでしょうか。大きな器量と豪快さがありますよ!

ちゃんちゃん焼きとは鮭などの魚と野菜を鉄板で焼いただけの非常に素朴な料理です。でも、このちゃんちゃん焼きは2007年農林水産省の農山漁村の郷土料理100選にジンギスカンや石狩鍋とともに選ばれているのですから、かなりなものです。

ちゃんちゃん焼きのネーミングですが、「お父ちゃんが作るから」「ちゃちゃ(=素早く)作るから」「鮭を焼くときに鉄板がちゃんちゃんと音を出すから」、「仕事中の漁師が親方の目を盗み、浜でスコップを使い鮭を焼いて食べたときにちゃんちゃんこで身を隠していたから」、「焚き火を起こすときの火打石の音から」、「できあがるのが待ちきれなくて、おはしで食器などを叩いた音がチャンチャン!と鳴っていたことから)」などがあって、全くちゃんちゃん焼きの由来が見えてきません。

それでも通用し、全国的にも郷土料理として認められるのですから、北海道の器量の大きさを伺うことが出来るような気がします。

ところで、作り方ですが

バーベーキューのような大きな鉄板を用意して、バターを敷きます。その上に野菜を乗せます。このときに鮭が置けるように中央部は空けておきます。

鮭を皮が下になるようにして中央部に置きます。白味噌を酒で溶き、みりん、または砂糖を少量混ぜたものを、鮭の身に塗るか、鉄板の周りに流してから、アルミホイル等をかぶせて蒸し焼きにする。
火が通ったら鮭の身を大きめにほぐし、野菜と混ぜ合わせる。 このようにして作った料理を、鉄板から直接取って食べます。

味噌とバターの味がからまってコクのあるジューシーさがたまらないそうです。北寄貝、ホタテやするめいかを一緒に焼くとさらに美味しくなりますよ。

最近はどんどん豪華になっている!漁師の料理であった石狩鍋

日本の伝統文化には当然料理も入りますが、北海道といえばイクラ、カニ、ウニ、鮭などの魚介類の宝庫で、これらを使った料理は本当に多いですね。

そんな中に、石狩鍋があります。鮭を使った鍋料理で、塩引きをしていない鮭をつかった味噌仕立ての鍋料理です。

ウロコを取り除いた鮭をぶつ切りや粗(あら)を、豆腐・たまねぎ・こんにゃく・キャベツ・大根・シイタケ・にんじん・長ネギなどの野菜を、コンブで出汁をとった味噌仕立ての汁で煮込みます。寒い冬には最適でしょうね。

汁には酒かすを入れたり、バターや牛乳を隠し味に使う場合もあるとのことで、いかにも北海道という気分になってきますね。最後に山椒の実か粉を入れます。

石狩川周辺の地元の漁師が賄い料理として食べていた味噌汁に鮭のぶつ切りや粗を入れて、石狩鍋として売り出したのが、1880年(明治13年)創業の割烹「金大亭」と言われています。

最近の石狩鍋は次第に豪華になってきて、鮭以外にエビ・ホタテ・鶏ごぼうつみれ・バーナ貝などを一緒にしたものまであります。

石狩鍋はジンギスカンやちゃんちゃん焼きとともに、北海道を代表する郷土料理として2007年農林水産省の農山漁村の郷土料理100選に選ばれています。

羊毛の自給から始まった北海道の郷土料理 ジンギスカン

日本の伝統文化として、北海道の郷土料理を思い起こしたときに、ジンギスカンが真っ先にでてきました。

ジンギスカンはマトン(成羊肉)やラム(仔羊肉)の焼肉料理ですね。2004年に北海道遺産の一つに数えられています。2007年には農林水産省が全国の農山漁村の郷土料理100選に石狩鍋やちゃんちゃん焼きとともに北海道を代表する郷土料理とされています。

ジンギスカンは平板の鉄板ではなく、中央が凸状になった独特の鉄板で焼きます。ジンギスカンの起源としてはモンゴルのジンギスカンが食べたものと言われていますが、これは後から付け足したもので、源義経がモンゴルに渡ってジンギスカンとなったことに由来しているとされていますが、こちらもちょっと首をかしげてしまいますね。

いづれにしても、由来のつけ方が北海道らしく雄大だとは思いませんか。

実際には、軍隊、警察、鉄道員の制服を作るために羊を飼育し、羊毛を自給しようとしたことが発端のようです。羊毛だけでなく農家の収入増加のために羊肉料理を大正時代に現在の御茶ノ水大学に委託しています。

日本で一番最初にジンギスカン専門店が出来たのは、1936年(昭和11年)東京都杉並区の「成吉思(じんぎす)荘」と言われています。北海道での本格的な普及は第二次世界大戦後といわれています。

世界自然遺産に選ばれた知床半島の見どころと食べどころ

「知床旅情」の歌でも有名な知床半島ですが、2005年に世界自然遺産に登録されています。

知床八景としては、日本の滝100選に選ばれた「オシンコシンの滝(双美の滝)」があり、滝の上から見る流氷の景色は感動的です。観光船からしか見ることのできない乙女の涙と呼ばれる「プレペの滝」。温泉が流れている「カムイワッカ湯の滝」。
高さが60mの巨岩の「オロンコ岩」、デートスポットとして有名になった夕日の名所「夕陽台」。
オホーツク海の流氷が一番最初に見える「プュニ岬」、
斜里町とウトロ羅臼町を結ぶ標高738mの「知床岬」は紅葉の名所でもあります。
原生林に囲まれた「知床五湖」。

知床を満喫するのに、海から知床を眺めるクルージングがあります。北海道斜里町の道東観光開発が400名乗りのおーろら号という観光船を4月から10月まで運行しています。所要時間は知床岬航路が3時間45分、硫黄山航路が1時間30分です。

知床のイベントとしては、7月第1日曜日が「羅臼岳の山開き」、9月第4日曜日が「しれとこ産業まつり」、そして知床の旬の食を楽しむ「知床番屋祭」が10月から11月にかけて行われます。

流氷を見たいと思って知床に行かれる場合は服装にご注意ください。気温はマイナス6度程度ですが、風があると体感温度はさらに下がりますので。

たった6基の雪像から始まったさっぽろ雪まつり

さっぽろ雪まつりは200万人もの人が日本だけでなく海外からも観光客が訪れるという北海道では最大級のイベントではないでしょうか。

1950年に札幌観光協会と札幌市が主催して、中学生や高校生が6個の雪像を作ったのが始まりです。

1953年の第4回さっぽろ雪まつりで高校生が高さ15mの雪像を作ったことによって、トラックやブルドーザーなどが使われるようになりました。第5回には市民も参加し、第6回からは自衛隊が野戦築城訓練の名目で協力するようになりました。

1959年の第10回のころから次第にさっぽろ雪まつり目当ての観光客が目立つようになってきました。
1972年札幌オリンピックがあった第23回さっぽろ雪まつりでは世界的に紹介されて、その後海外からの観光客が増えるようになってきました。

2010年の第61回さっぽろ雪まつりでは景気の悪化もあってスポンサーが減少し、氷雪像が前年比で44基減少しています。

雪まつり資料館が羊ケ丘展望台にあり、実際に使われた雪像の模型や歴代のポスターがてんじされています。

地の利、人の和、天の時が揃っている札幌市のさっぽろ雪まつりは経済的には苦しいかもしれませんが、是非継続して将来は日本の伝統文化と呼ばれるようになって欲しいですね。

翼を広げた木彫りの蝦夷シマフクロウは迫力満点でした

北海道の伝統文化を考えるときにアイヌを無視することはできないでしょうね。

北海道では出土される石器などから数万年前から人が住んでいたことが分かっています。アイヌ文化として様式が確立して現在確認されているのは13〜14世紀からになってきます。

1457年には和人とアイヌが戦を行い数多くのアイヌ人が殺されたそうです。また、17世紀には交易が盛んに行われ、時には交易上のトラブルから戦があったことがキリスト教宣教師が記述しています。

このような中で、アイヌ独特の文化が生まれ育っていくのです。アイヌ独特の着物であるルウンペは木綿の生地に細かな刺繍が施されています。

装身具としては、ブドウヅルなど皮で編んで本体を作り、熊の彫刻を施したり、鳥の頭蓋骨などで装飾を施したサバウンベと呼ばれる冠が有名ではないでしょうか。

アイヌの守り神として有名なものに、蝦夷シマフクロウがあります。蝦夷シマフクロウは世界最大のフクロウとしても有名なものです。特に蝦夷シマフクロウが翼を広げた木彫りはあまり見たことがなかったので迫力がありましたね。

個人的にアイヌを思い起こすものとしては、木彫りの熊があります。熊が鮭を加えているものですが、アイヌでは熊を「キムン・カムイ(山の神様)」と呼び、最も尊ぶ神だそうです。

北海道遺産として認定された 札幌ラーメン

日本の伝統文化 北海道編です。札幌ラーメン(さっぽろラーメン)は、北海道札幌市発祥のラーメンであり、ご当地ラーメン(ご当地グルメ)の一つ。

札幌には戦前からラーメンが存在した。在日華人の調理人達によるあっさりしたスープのラーメンが発祥である。

戦前の札幌ラーメンは1923年、中国料理店「竹家食堂」の醤油ラーメンから始まった。竹家食堂で人気となったラーメンはその後、札幌市内の中国料理店、喫茶店などに広がっていったが、太平洋戦争の物資統制による原料不足で全て姿を消した。

戦後のラーメンは満州などからの引揚者達が屋台で作った豚骨から煮出した濃いスープが源流である。 終戦直後の1946年頃、屋台から始まった。元祖・発祥は各説あり定かではなく、「龍鳳」、「だるま軒」などの説がある。

当時は醤油味と塩味のみだったが、やがて「味の三平」が味噌ラーメンを考案した。考案のきっかけはある客から豚汁のスープにラーメンを入れてほしいと言われたことである。この味噌ラーメンが雑誌やデパートの物産展などで全国的に広がったため、「札幌ラーメン=味噌ラーメン」と捉えている人がいるが、ほとんどのラーメン店で、醤油味・味噌味・塩味の三種類を提供している。

札幌ラーメン横丁の存在、「暮しの手帖」の編集長だった花森安治による札幌ラーメンの記事(1953年「週刊朝日」、1955年「暮しの手帖」)、1966年に発売された『サッポロ一番しょうゆ味』(サンヨー食品のインスタントラーメン)などにより、札幌ラーメンは日本全国に広く知られることとなった。

2001年には札幌ラーメンを含む北海道のラーメンが北海道遺産として認定された。

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